2013/02/06

島根県奥出雲町のダビデ、ビーナス像が公園に設置されるまでの経緯

さて、読売新聞で報じられたこちらの件。

公園のダビデ像「下着をはかせて」…町民が苦情


 島根県奥出雲町が昨年夏に公園などに設置したダビデ像とビーナス像が、思わぬ問題を引き起こしている。
 町出身者が町に寄贈した大理石製の彫刻で、町は「一流の芸術作品として教育的価値がある」と説明するが、巨大な裸像を目にした町民らは「子どもが怖がる」「教育上ふさわしくない」と町議に苦情。町議会でも取り上げられ、山あいの町で論争が続いている。
 像は、ミケランジェロのダビデ像やミロのビーナス像を模してイタリアの著名な彫刻家エンツォ・パスクイニ氏(故人)が制作。台座部分を除いた高さは約5メートル。同町出身の元建築会社社長、若槻一夫さん(広島市)が購入して、故郷への恩返しのために昨年4月、寄贈した。
 町は「本物の芸術作品を鑑賞できる。ありがたい」と感謝。美術商や若槻さんの意向に沿いながら設置場所を決定。力強いダビデ像は、スポーツ選手が集まる三成運動公園に。愛と美の女神・ビーナス像は、子どもを見守るよう三成公園みなり遊園地に置いた。昨年8月には、若槻さんを招いてお披露目式も行った。
 しかし、約5メートルの裸体。小中学生や家族連れらが訪れる場所であるため、住民らから町議に苦情が寄せられ始めた。「子どもが怖がる」「威圧感がある」「もう少しふさわしい場所に移設して」「(ダビデに)下着をはかせて」などの声があるという。
 昨年9月町議会で町議の1人が問題を指摘。12月町議会では、別の町議が「教育上、ふさわしくない」「『見たくない』『気持ち悪い』という声がある」と訴えた。しかし、町は「本物の芸術品が二つもあり、素晴らしい」「専門家の意見を聞きながら場所を決めた。周辺の景観と合っており、移設は考えていない」と議論は平行線。
 取材に対し、井上勝博町長は「幼い頃から一流の芸術作品に親しむことで、目を養うことができる。感性に訴えかけ、美術教育にも役立つ」と話す。
 約40年前、イタリアでパスクイニ氏の指導を受けた安来市の石彫作家、清水洋一さん(63)は「イタリアやフランスでは、公園に裸体の像があり、小中学生がデッサンしている。奥出雲でも教材として役立てることができるはず」としている。(佐藤祐理)
(2013年2月5日17時48分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130205-OYT1T00029.htm

一読すると、わいせつ論争か、あるいは地域の景観問題のように見えるが、当の町議の塔村俊介さんのブログを見るとそう単純には片づけられないようだ。塔村さんは9月の議会で以下のような質疑をしたようである。*1

問 (…)三成公園にダビデ像、三成遊園地にミロのヴィーナス像が設置された。最終的に場所を決定したのは町長か。
答 はい。
問 教育的見地からどう評価しているのか。
教育長
答 有名な芸術作品であり、感性に訴えかけるもので、教育的に価値のあるものと評価している。
問 保護者や住民からの声は届いてないか。
教育長
答 私には届いていない。

※ 町民は皆さん反対である。この像に千五百万円のお金が出されたことを公式には議会も町民も今日初めて聞いた。また、庁舎建て替えにしても、設計者がもう決まっていることも今日初めて聞いた。法的な手続きは問題ないかもしれないが、議会も町民も、もう決まって後戻りはできない状態で様々なことを知らされる町政ではなく、もっと住民の意見を真摯に聞いていただけるような町政であることを願う。
http://ameblo.jp/tomuramura/entry-11372083949.html

どうやら、塔村さんは町費の不正拠出について疑っているようである。

そこで、この石像が制作され、公園に設置されるまでの経緯を、既知の情報から整理してみると以下のようになる。

著名な彫刻家
読売記事では「著名な彫刻家」とあるが、Googleで検索してもこの一件以外にそれらしい記述はまったく見あたらない。オレには芸術が分からないので、本当に著名な彫刻家でいらっしゃったら失礼きわまりないが、少なくとも日本ではほとんど知られていないようだ。いずれにしても、この石像は、ミケランジェロ作品などのレプリカであって*2、著名な彫刻家の手をわずらわせるようなものではないように思う。
宝塚の前所有者
読売記事では寄贈者であるWさんが直接購入したように読めるが、実際にはいったん宝塚在住の某氏が入手し、Wさんは、有償か無償かはわからないがこの某氏から譲りうけたものである。
寄贈者
石像を寄贈したWさんは奥出雲町出身で、建築会社の元社長である。宝塚の前所有者から譲りうけた石像を、ふるさと奥出雲町に寄贈した。これに並行して、従兄弟・Mさんに感謝行事の計画起案とその実施を依頼している。
記念行事の計画者
MさんはWさんの従兄弟にあたるひとで、大阪府泉佐野市に在住する。Wさんの依頼をうけて、石像設置の感謝行事の計画起案とその実施を担った。読売記事に8月のお披露目式とあるのは、このことを指していると思われる。奥出雲町のご当地演歌を作曲し、W氏とともに日本コロムビアからCDを出している。
町への寄贈
Mさんのブログによると、12年3月7日にはすでに行事の準備が始まっている。読売記事では石像の寄贈があったのは4月としているが、これはおそらく町が正式に受領した日なのであって、実際にはずっと以前からこの寄贈と感謝行事の計画は決まっていたことになるだろう。
石像の設置
Mさんのブログにあるように、高さ5メートルの大理石の像を設置するためには、2メートル四方の土台(コンクリ製か)と、それを設置できる頑丈な土地が必要で、3月時点ではまだ場所は決まっていなかったようである。この石像の設置場所を決めたのは町長の井上勝博さんである。
業者選定と1500万円
場所を選定するにあたり地質調査が、さらに土台の制作、石像の組立設置にもそれぞれ施行業者への発注が必要になるが、その業者選定の過程や、費用算出の根拠が明らかでない。設置には1500万円がかかっている。しかし町民も町議会もそれだけの大金が拠出されていたことを、だれも知らなかった。9月に町議の塔村さんが質問して、はじめて公になった。塔村さんは、そこになにか不正があるのではないかと疑っているようである。

この一件を、わいせつ論争、景観論争とみると、ことの本質を見誤ってしまう可能性がありそうだ。

ダビデ像の銘板

ダビデ像の土台には銘板がはめこまれていて、そのなかで寄贈者・W氏への感謝の言葉がつづられている。*3

ダヴィデ

推定制作年 1501~1504年 大理石復元作品
作者 ミケランジェロ・ヴォナロッティ


我が故郷に思いを寄せて

この高さ5メートルにおよぶ大理石像は、若槻工業株式会社(広島市)の創業者、若槻一夫氏(奥出雲町亀嵩出身)が寄贈されたもので、遠くイタリアの地にて彫刻家エンツォ・パスクィニ氏の手により、長い歳月をかけて制作されました。

ダヴィデはギリシャ神話の中でいくつかの戦いをしてきた神であることから、陸上競技場、野球場、ホッケー場を有する「三成運動公園」の中心で競技するアスリートを見守るために設置したものです。

若槻氏は昭和10年(1935年)に亀嵩の地で、八人兄弟の三男として誕生されました。幼少の頃は病弱であった氏の身を案じた父から「一夫は手に職をつけ生涯困らないよう左官職人になれ」と諭され、中学卒業後左官職人としての人生が始まりました。生まれ故郷で修行の後、昭和32年、21歳の時大志を抱いて単身広島へ。一日も早く一人前の職人になろうと懸命の日々が続き、その後独立開業。70歳を越えふと気持ちにゆとりができた時、改めて若くして他界した父母への思い、故郷への郷愁が心を包みます。若槻氏は自分を育ててくれた故郷に恩返しができればと、これまで町へ多額の寄附や高齢者への贈り物、地元小学生を野球観戦へ招待するなど様々な慈善活動を行っていらっしゃいます。

この像が、故郷の皆様に愛されるよう心から祈ります。

平成24年 7月

寄贈者 若槻一夫
設置者 奥出雲町
http://mypage.okuizumo.ne.jp/my/udgw/2013/02/post-352.html

ふるさと庭園望が丘

「ふるさと庭園望が丘」とは、石像の寄贈者・W氏が、2009年7月、私財を投じて建設した庭園である。3300平米の敷地に、ビーナスをはじめ27体の彫像が設置され、ツツジ1200本や果樹などが植樹されている。

ここに設置されている彫像も、エンツォ・パスクィニ氏の手によるものであることは、ブログ「奥出雲だより」の写真から読みとれる。

寄贈者について

寄贈者・W氏については、こちらのブログでよくまとめられていた。

いやげものとしての慈善活動 - 日記

著名な彫刻家について

彫刻家・パスクイニ氏について、調べているひとがあった。

パスクイニ氏ってどんな人だろう - Hachi's diary

*1:奥出雲町の議事録検索システムでは12年5月の臨時会議までしか閲覧できない。

*2:修正しましたw

*3:公務員の書くような文体ではなく、W氏か、あるいは親しい人物の手になるものだろう。

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