ここで複雑な解説を交えてまでして史実に正したとしても、それは劉岱というどうでもいい端役の身分が明らかになるのみで、大きな意味はありません。よりも劉岱を同一視してその転落した姿を描く方が、より物語として面白く、より規範として奥深くあるようと考える毛宗崗の方針と合致する訳です。
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin+L-M/20120109/1326038887
これはひどい…。
劉岱はどうでもいい端役などでは断じてない。
『演義』の世界ではいざしらず、劉岱はれきとした司空府の燦々たる長史であり、のちに丞相長史となる王必の先駆けたる位置づけにある人物。劉岱なくして王必は語れず、王必なくして劉岱はぶっちゃけどうでもいいとさえ謳われる、看過すべからざる地位にあるところの劉岱なのである。
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