2013/02/14

「汚名返上」の用例はゼロ、汚名は雪ぐもの

※この記事は、はてなブログで公開したものを再掲したものです。この投稿に対するコメントははてなブログでご覧ください。

さきほど、本ブログにて『汚名挽回』という言い方は間違っている、とする主張の根拠が分からないというエントリを公開したところ、思いがけず大きな反響がありました。ふだんは滅多にないコメントを多数いただいたり、Twitterや、はてなブックマークでも話題にのぼっていたようです。こちらからは把握できませんが、Facebookでも参照されているようです。

その多くは、このエントリで提示した疑問に対して否定的な意見でしたが、そうした批判は大きく4つに分類できるようです。以下にその4つを整理します。

  • 「汚名返上」とするのが慣用だから
  • 対になるべき熟語「名誉挽回」と構文の整合性がとれない
  • 四字熟語を単語にばらしたり、構文を解釈してはならない
  • 汚名は与えられるものであり、取りもどすものではない

以上4点の主張には、それぞれに不充分なところがあると考えるので、今回はそれを指摘したいと思いますが、その前に少数意見や些細な論点から見ていこうと思います。

「汚名挽回」を正しいとは証明できていない
このことを直接的に指摘する意見はそれほど多くはありませんでしたが、その他の主張の根底にも共通して横たわっているようですので、まっさきに取りあげます。前回エントリで述べているのは、「汚名挽回」を間違いとする根拠が分からない → 「汚名挽回」を間違いとする根拠がないのではないか → 「汚名挽回」は間違いではないのではないか、ということであって、「汚名挽回」が正しいということではありません。「間違いとはいえない」と「正しい」とはまったく意味が異なります。これをごちゃまぜにするのでは、その後のお話を筋道だって進めることが不可能になりますので、とくに強調しておきたいと思います。
サンプルに偏りがあるのではないか
さきのエントリでは『青空文庫』の収録作品から用例を検索しているので、用例のサンプルが近代文学に偏っているのではないかというご指摘です。これはその通りだと思いますが、前回エントリにおいて意図しているのは、「汚名挽回」を間違いとする主張があまりに流行しているので、その根拠を問いなおすことにあります。であれば、そうした主張が定着する以前から用例を採るべきです。実際、Googleで現在の用例をとっても、ほとんどが「汚名挽回」は間違いである、という前提に立ったものしか採取できないわけです。なお、この点について、昭和18年までの新聞記事から用例を採取された方がいらっしゃるので、のちほど紹介したいと思います。
自分の言いまちがいを認めたくないんだろう
こうした人格攻撃は本当におおく見られるものでした。あるひとは「漱石」の故事を引いています。この故事は、隠者の暮らしを志したひとが「水(かわ)で口をすすぎ、石を枕にしたい」と言うべきところ、誤って「石で口をすすぎ、水を枕にしたい」と言い、それを笑われて「歯をとぎ、耳を洗うためだ」と強弁したというものです。つまり、自分が「汚名挽回」と言いまちがったので、それを認めたくないがために前回エントリを書いたのだろう、と邪推したわけです。こうした論述姿勢には2つの誤りがあります。まずひとつには、前回エントリの冒頭に書いたように、オレ自身は「汚名挽回」という言葉を使ったことがないので、かれがそこに書かれているものをきちんと読んでいないということがあります。もうひとつ、かれの邪推が事実であるとして、エントリの主旨である、「汚名挽回」は誤りであるとはいえない、という見解に対し、なんらの反証になっていないことです。この件にかぎりませんが、論者の資質をうたがったり、嘲笑したりするような行為は、なにも得るものはないので時間と労力の無為に費やすことになります。
なぜなら間違っているからだ
「汚名挽回」は間違いとはいえないのではないか、と論じているときに、「それは間違っている、なぜなら間違っているからだ」とだけ述べるのは、いわゆる同語反復、トートロジーというもので、なにも言っていないのと同じことです。なぜ間違っていると考えられるのか、少なくともそれくらいは提示していただきたいものです。

さて、余談はさておき、上記の主要な4点の主張について、詳細に見ていきましょう。

「汚名返上」とするのが慣用だから

こうした見解は非常におおく見られます。オレ自身も突きつめればこの見解に行きつくのですが、ただし前回エントリで提示されているのは、「汚名挽回」を間違いとする根拠が分からない、根拠がない、ということです。そうした見解に対し、「慣用だから」では反論として成りたたないだけでなく、むしろ「根拠がない」とする前回エントリの主張を補強するものになっています。

また、「汚名挽回」を誤りであるとする主張は、かならず「汚名返上」と言いかえよ、という示唆と対になって語られるものですが、その主張を通すためには「汚名返上」なる言いまわしが、すでに「慣用」として定着している必要があります。はたして、そのような実態はあるのでしょうか。

前回エントリを公開したあと、すでに『青空文庫』を検索して「汚名」の用例をしらべています。その結果はなんとも驚くべきことでした。

「汚名」という語の使用は、89作品に見られました。ところが、「汚名返上」「汚名を返上する」に類する用例は、ゼロです。そのような用例は、あの『青空文庫』の膨大なテキスト群のなか、たったのひとつもありません。さらにいえば、「名誉挽回」の用例も2件しかありません。

これでは、「汚名挽回」「汚名を挽回する」の用例がゼロであるのと、さして違いがありません。したがって、「わざわざ汚名挽回なんて言わなくても、すでに名誉挽回や汚名返上という言葉があるんだからそれを使えばいい」といった見解は、一方に偏ったものであると言うことができます。

よくよく考えてみれば、オレ自身の体験として、「汚名返上」という言いまわしを最初に聞いたのは、「汚名挽回というのは間違いだから、汚名返上と言いかえよう」という主張からでした。さらに疑いを差しはさむなら、「汚名返上」という言いまわしは「汚名挽回」を否定するために新たに作られたのではないか、とすら思えます。

もしかしたら、このような反論があるかもしれません。「たしかに汚名返上という言いまわしは近年新たに作られたものかもしれない。しかし現在ではそれが定着しているのだから、それを使っていけばよいではないか」と。しかし、この言い分を通用させるのであれば、これまで「汚名返上」と読んできた言葉をたとえば「汚名をケチャモゲロ」などと呼ぶことにしたら、今後はそれが正しいことになる、ということを承諾しなければなりません。それだけの覚悟はなされているでしょうか。そこには、歴史性がありません。

対になるべき熟語「名誉挽回」と構文の整合性がとれない

「汚名挽回」というのは、「名誉挽回」と対になるべき熟語であるが、その構文をみると一方は「汚名から挽回する」、もう一方は「名誉を挽回する」という形になり、統一性が失われる。「汚名返上」とすれば、そのような不都合が発生しない。そのような主張であると思います。

こうした意見には一理あると思いますが、それだけでは、「汚名挽回」が間違いであるとする根拠にはなりません。

「汚名挽回」と「名誉挽回」が対になるという想定じたいが、疑わしく思われます。おなじ意味のことを、べつの言いかたで表現しようとしているにすぎませんから、そもそも「対」になる機会がありません。「汚名から挽回する」ことは「名誉を挽回する」ことと同義ですし、巨人・阪神戦なら、「巨人を負かす」ことは「阪神に負ける」ことと同義です。

また、なぜ「汚名から挽回する」と言って「汚名を挽回する」と言わないのか、熟語に好きかってな助詞を挿入するのは恣意ではないのか、という指摘があるかもしれません。

これは、オレが「鹿狩り/鷹狩り」論と呼んでいるものです。「鹿狩り」というのは、「鹿を」狩ることを表している言葉ですが、では「鷹狩り」は鷹を狩っているのでしょうか。そうではなく、「鷹で」狩りをすることを表しているのは明らかです。一見すると、おなじ構文に成りたっているように見えますが、指ししめす意味はまったく違っています。じっさいの構文も違っています。しかし、言葉の見ためからは区別がつきません。その言葉がどのような文脈において現れているか、どちらの意味で言っているのかを推測し、読者がおのおの心のなかで「を」や「で」をおぎなって読んでいるわけです。このことは、四字熟語でもおなじことが言えます。

四字熟語を単語にばらしたり、構文を解釈してはならない

この主張もしばしば見られたものでした。しかし、この主張を認めるべき根拠をあげたひとは、いまだに現れていません。

日本語の熟語は、その多くが漢語に由来するものです。一部の例外をのぞき、漢語や漢文として読むことができるものばかりです。たとえば「山にのぼる」ことを「登山」と言いますが、これはその行為を漢文として「登山」と書いたものを、そのまま日本語に採りいれて再利用しているわけです。日本語の語順にあわせて「山登」と書かず、「登山」と書くのは、漢語に由来していることのなごりです。これは、日本で新たに作られた熟語についても、おなじルールが適用されます(ただし、例外はあります)。

漢語では、外来語など特殊なものをのぞき、字ひとつが、語ひとつになります。字(語)を組みあわせて、新たな言葉を作ることもよく行われます。そうした組みあわせが定着したものを、われわれは「熟語」と呼んでいます。したがって、そのことは反対にいうと、すでに完成された熟語も、分解して1字の単位にひらくことができることを表しています。

字を組みあわせて熟語を作るとき、その組みあわせかたには決まった法則があります。漢語の文法にしたがっているからです。

組みあわせかたには、大きくわけて2つあります。複数の字を組みあわせて、1つの単純な意味を表すもの。複数の字を組みあわせて、複雑な意味を表すものです。前者は省略しますが、後者のやりかたはさらに細かく、いくつかに分類できます。(1)類似の意味をもつ字の組みあわせ、(2)反対の意味をもつ字の組みあわせ、(3)前の字が後の字を修飾する組みあわせ、(4)前の字を主語、後の字を述語とする組みあわせ、(5)前の字を述語、後の字を目的語とする組みあわせ、(6)その他、です。

すべての熟語は、一部の例外をのぞき、このように1字の単位にばらして解釈できるはずです。ですから、それに反対するなら「汚名挽回」「汚名返上」といった熟語が、例外的な組みあわせに依っていることを説明しなければならないでしょう。

汚名は与えられるものであり、取りもどすものではない

さて、上記のとおり四字熟語は2字づつに分解し、さらに1字づつに分解して、漢語としての構文を解釈できることが分かりました。そこで「汚名挽回」とはどのような構文で成りたっているのか、という観点からの批判があります。

この観点からの批判は、すべてが例外なく「汚名とは、汚れた名を表すもの(名詞)である」とする前提にたった主張でした。つまり、さきの分類でいうならば、(3)前の字が後の字を修飾する組みあわせ、とする解釈です。そして、「汚名を被るというのは、汚れた名を与えられることである」と主張します。まっ黒なネームプレートを遠くからぽんと投げつけられるようなイメージでしょうか。

こうした構文解釈は、それ自体、おかしなところはありません。つじつまはとてもよく合っています。

しかし、この解釈は、日本や中国の伝統的な「名誉観」に反しているのではないかと考えます。さきほど「汚名を返上する」に類する用例は、ゼロだと述べました。では、近現代の文豪たちは、汚名を被って原状回復することを、どのような言いかたで呼んでいるのでしょうか。「汚名を雪(すす)ぐ」です。汚名は、挽回するものでも返上するものでもなく、雪ぐもの、というのが文豪たちの認識です。

「汚名を雪ぐ」ということは、汚れを雪ぎおとしたあと、手元に清められた「名」が残るわけです。「名」ごと相手に投げかえしたりはしません。なぜなら、その「名」はもともと自分が持っていたものだからです。

われわれは最初から「名」を持っていて、それが他人の手で「汚」される。それを「汚名」と呼んでいます。さきの分類でいうなら、(5)前の字を述語、後の字を目的語とする組みあわせです。「汚名」は、「名を汚す」という行為、あるいは「名を汚される」という様子をあらわす文として理解できます。そして、名を汚されたから「雪ぐ」。雪がれた「名」は、すでに清められたものとして手元に残しおかれている。そのように理解することができるのではないでしょうか。

そうした名誉観を前提としてみると、「汚名挽回」はそれほど奇怪なものではないとお感じになるかもしれません。自分の「名が汚された」状態になっているので、汚れを雪いで、かつての清らかな状態を取りもどしたい、清らかな名を挽回したい、というわけです。


さて、このように見ていくと、「汚名挽回」という言いまわしは、「汚名を被った状態から原状回復する」という意味で、さほど突飛でおかしなものではないように思われます。むしろ「汚名返上という既存の言葉を使えばいいじゃないか」という主張のほうが、そこで根拠とされている過去の用例がなく、正当性のないことが明らかになりました。

ただし、本ブログでは、「汚名挽回」という言いまわしを推奨するものではありません。このように論争をまねく言葉を使わなくても、「汚名を雪ぐ」と言えばそれで充分だからです。


関連ブログ

前回エントリは、冒頭でふれたように多くの反響がありました。大部分はTwitterはてなブックマークで確認できますが、なかでも労をいとわずブログ記事に起こされた意見は、賛否をこえて一見の価値があります。

「汚名挽回」という日本語は間違いなのかどうか - The Midnight Seminar
北原保雄さんが書かれた『問題な日本語』にも同様の指摘があり、論理的に間違っているとはいえず、誤用とされるなかにも「言葉の乱れ」と「正当な変化」を区別することは難しい、ということが紹介されています。
「汚名挽回」の誤用指摘 - Hachi's diary
「汚名挽回」は誤用である、との指摘がいつごろから現れるかを検証したエントリです。Googleブックスの検索結果によると、1976年ごろからこの指摘が見られるそうです。
「汚名挽回」の誤用指摘 その2 - Hachi's diary
「汚名挽回」「汚名返上」「名誉挽回」「名誉回復」「名誉恢復」の用例を『青空文庫』と『新聞記事文庫』で調べたエントリ。とくに後者は、明治末期から昭和45年までの主要各紙を収録したもので、そのうちデジタル化されている昭和18年までに「汚名返上」の用例がない、「名誉挽回」ですら1~2例しかないという事実は、大きいです。
「汚名挽回」を誤用認定したのは誰か - novtan別館
田中芳樹さんの小説『創竜伝』が、「汚名挽回」を誤用であると書いていて、その読者世代にこうした認識が広まっていったのではないか、と指摘するエントリです。はてなブックマークにも同様の指摘がありました。
Small Steps: 汚名について
巷間に「汚名返上」と呼ばれているものは、過去にこうむった汚名を消しさるものではなく、「汚名返上」という新たなレッテルを貼っているだけである、同様に「名誉挽回」というときも、名誉は挽回されていない、そこには罵声とともに汚名を着せることで挽回を要求する狙いがある、という考察です。

前回エントリに対する反応ではないですが、以下のブログ記事も参考になります。

誤字等の館:汚名挽回
正しい表現とされる「汚名返上」という言いまわしは、「汚名挽回」とは異なる意味で使われているので取りかえがきかない、と指摘する記事です。
「本来」の日本語を捏造する人 - アスペ日記
日本語にかんして「本来はこうである」と主張されるとき、その根拠がでたらめであることが多いとの指摘。このエントリのほか、言葉についてのエントリが多いです。

関連ブログに追加

日本語の誤用と似非科学の類似性
だれかが「これが正しい」と言ったことが、そのまま信じられてしまう現象が、似非科学やスピリチュアルと称されるものに似ている、という指摘です。
汚名挽回 : 疑似科学ニュース
突きつめていけば、けっきょく「みんながそう言わないから」と結論するしかない、と指摘する記事です。

7 件のコメント:

  1. 1985年に出版された『指揮者の戦訓』(図書出版社)には、そのものズバリの「汚名挽回」という表現が見られます。
    実はこれを読んでから、疑問に思ってネットで調べてここにたどり着いたのですが、一応参考程度に置いておきます。

    【天皇は殊のほかご機嫌がよく、山下は恐悦して退出、先年の汚名挽回のため、一層の働きを心に誓った】
    (17p)

    これを書いたのは森松俊夫、1920年に京都府で生まれ、戦時中は陸軍少佐、戦後は陸将補にまで出世、
    防衛研究所戦史部編纂官、同所員、同調査員を勤めた人物です。
    文中の「山下」とは、マレーの虎こと山下奉文のこと。
    226事件の時、青年将校に同情的だったと天皇に見なされ毛嫌いされた事実を、「汚名」とし、それを「挽回」する事を意味しています。

    使用例があったので一応お知らせします。

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    1. お、コメントありがとうございます。

      それはちょっと興味ぶかいですね。1920年ということは大正9年の生まれ、終戦時の少佐ですからかなりの教養家だったはずです。ましてや戦史編纂官であれば人並み以上に豊かな語彙力を有しておられたでしょう。1985年というと、すでにスポーツニュース等で流通していたのに影響を受けた可能性はあるものの、その旧将校がなんらためらいなくこの語を使用しているのは小さくない事実ですね。

      用例の収集は非常に困難なものですので、こうした用例のご紹介は助かります。またなにかお気づきのことがありましたら、お知らせください。ありがとうございました。

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    2. ずっと以前、情報提供させていただいた者です。
      「汚名挽回」の使用例が有ったので、また情報提供させてください。

      今回の本は『戦場の名言』(草思社)。
      著者は、
      田中恒夫(防衛大学校助教授、元2等陸佐)
      葛原和三(陸上自衛隊幹部学校教官、1等陸佐)
      熊代将起(陸上自衛隊幹部候補生学校教官、2等陸佐)
      藤井久(中央大学法学部卒業、戦史研究家)
      この四人による編著です。
      【2006年6月27日】出版の本。

      さて、改めて使用例です。
      ページは226-227ページ、チェスター・ニミッツ大将について書いた項目の中です。
      ミッドウェー海戦までのアメリカ軍は、日本軍に連戦連敗を繰り返しており、士気が沈滞しておりました。
      そんな中、ニミッツが太平洋艦隊司令長官に転任してきます。
      ハワイに着いたニミッツは、司令部一同(今までの連戦連敗の責任者たち)を集めて、
      「転属を希望する者以外は現在の職務にとどまるように」と訓示。
      これに続いて書いてある文章が次の通りです。

      【これで敗北に打ちのめされていた太平洋艦隊の衆心は、がっちりと一つに固まった。新しい司令長官は、汚名挽回のチャンスを与えてくれたのだ。これで士気が上がらないわけはない。】

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    3. ほほう!著者は田中恒夫さんをはじめ、いずれも1950年前後の生まれのかたのようですね。
      http://hiroyoshimiura.seesaa.net/article/100947393.html

      ここに文化庁のアンケートがありますが、30代を軸に、40代以上ではむしろ「汚名挽回」派のほうが多いようなんですね。
      https://twitter.com/yunishio/status/462677939083964416

      文化庁は、とくに根拠もあげず本来の言い方ではないと決めつけていますが、この調査結果をみれば、「汚名挽回」のほうが古くから実績の多い用法であることは明らかです。田中恒夫さんらの著作は、この文化庁アンケートを裏づけるものとなりました。

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  2. これは私の推測でしかありませんけど、
    『機動戦士Zガンダム』(1985~1986)が、

    「汚名挽回」=「間違った用法」

    という事を広めたのではないかと思っています。
    主人公のライバルキャラのジェリドという男が「汚名挽回」という迷言を残し、
    結局は「汚名返上」も出来ないまま主人公に連戦連敗し、それが散々笑い物にされたという描かれ方が大きな影響を与えたのではないかと。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%B5
    (ここでは「脚本のミス」「誤ったセリフ」とされていますね)

    何らの裏付けも証拠も無いので、単に管理人様の仰られた世代間格差から推測したに過ぎないのですが。

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  3. http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/33099/m0u/
    ↑goo辞書に飛びます
    たまたまコチラのブログに行き着いたのですが、汚名挽回は間違った使い方であると書かれていますね

    例に挙げられたのを見ていると、実際汚名挽回を使用した実例があるそうですが。。
    昔は返上も挽回も同じように使われていたのであれば、いつから挽回は間違いであると
    されたんでしょうね?
    大体話の流れで挽回でも返上でも言いたいことは伝わりますが、こうなると気になってしまいますね

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    1. 国語辞典は、なにが正しいかを決めるものではなくて、人びとがどのような意味で使っているかを示すためのものなので、ご紹介の『大辞泉』が誤用と言いきっているところは、かなりの違和感を覚えますね。

      この記事を書いて、しばらくしてから、三省堂『国語辞典』の編纂者・飯間浩明さんも「汚名挽回は誤用ではない」と解説しておられます。どうも福田恆存さんの『死にかけた日本語』あたりから誤用説が広まっていったようです。福田恆存さんは保守派論壇の重鎮ですから、かれの言うことならきっと正しいのだろう、ということで誤用説が有力になっていったようです。
      http://togetter.com/li/662009

      飯間浩明さんの所論はこちらにもまとめられていますが、ここで紹介されている文化庁調査に注目すると、60、50、40代は「汚名挽回」派が優勢、30代で拮抗し、20、10代で「汚名返上」派が優勢になります。ここから見ても、誤用説はごく最近に生まれたものということが分かります。
      http://matome.naver.jp/odai/2139899391825390701

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